広くご意見を求めます

当サイトの大切なお客様でいらっしゃいますS様からのメールを頂き、私との間で交わされたやりとりをS様のご承諾を得て公開し、広く皆様にご意見を求めたいと思います。
尚、ご意見はこちらまでお願いいたします。
原則として、S様にも何ら変更を加えずそのままの形で転送させて頂きます。

まず、トラウマシリーズを読まれたS様が、ご自分の離婚経験をもとに、
一つは、自分の考えを持たないこと。
一つは、言い訳をすること。
一つは、他人に対してのみならず、自分に対しても平気で嘘をつくこと。
一つは、客観的視野に欠けること。
一つは、聞く耳を持たないこと。
等の点が、元奥様にはあったのではないかと分析しているメールから始まります。

そのS様のメールを受けて、HIDEの返答メールを最初に掲載します。
一番最初のS様からの原文が無くても、主旨は充分把握できると思います。
(S様からの掲載のご承諾は、一番最初のメールではありませんのでこのような形をとらせて頂きました)

今までの反響

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結婚の経験のない私では、S様よりも浅い視点でしかないかもしれませんが、私なりに考えたことを
まとめさせて頂きます。
少なくとも、真剣なご意見に対しては、それにふさわしく失礼の無いような内容で(シャレのつもりでは
ありません、念のため)、私も真剣に考えた上で述べさせて頂きたいと思います。
私の場合、自分が「変な人間」であることを強烈に自覚していますので、自分の主観がアテにならない
ことが大前提となっています。
というか、私は自分の主観のままの意見を述べて、周囲からそれに賛同する意見があった事が殆ど無い
のです(笑)
だから、私は客観的に物事を観たいと思った場合、「客観視用フィルター」をかけて物事を観ます。
もっとも、その場合は自分が「標準」からどの程度、どの方向にずれているかを自覚していなければ意味
を持ちませんが。
また、そのフィルターも所詮主観が入っているものですから、「とりあえず主張」してみて、周囲から
「おかしい」とか「反発」の意見を感じるようであれば、さらに周囲の意見と合わせながら補正して
いきます。
じゃ、最初っから周囲の意見を聞いて、それを「客観的なもの」とすれば良いのでは?という理論もある
のでしょうけれど、それでは「個人」や「個性」の意味が無くなってしまいます。
つまるところ、主観であれ客観であれ、自分の主張する意見は多くの意見の中の一つに過ぎない訳で
あって、他の意見も許容する度量の広さが必要なのではないでしょうか?
もちろん度量の広さとは、無差別・無制限な意見の受け入れを意味するものではありません。
ちゃんと咀嚼して、自分の中で再構築して、受け入れるべきところは受け入れる、そうでないところは
納得のいくまで話し合うというのが本来の姿だと思います。
・・・思いますが、ここまで出来る人間はそんなに居ないでしょうね。
言うまでもなく、私だって出来ません。
多くの場合、人はそこまでヒマじゃありませんしね。じゃ、妥協点として、どこまで出来ていれば良い
のか?という事にもなりますが、私の場合、先述のものと重複しますが、
・自分の意見を絶対的なものとせず、数ある意見の一つに過ぎない事を自覚する。
・他人の意見を鵜呑みにせず、必ず自分のフィルタをかけて聞く。
(これは、???と思われるかもしれませんが、重要だと思います)
といったところでしょうか?
正論ばかり主張する人間は結果として嫌われます。
また、常識を逸脱した人間も嫌われます。
その両極からのバランス感覚が麻痺しないよう、気を付けたいと思います。
私は冒頭でも述べたように「変な人間」ですから、ともすればそのバランスを崩しがちです(笑)
ただ、幸いなことに私の周囲には、私が逸脱したときにそれを躊躇なく厳しく指摘してくれる得難い友人
が居ます。
そのお陰で、ずいぶんと私は助かっています。
なあなあの友人だけではなく、自分に厳しい友人を持つことも重要かと思います。
S様の元・奥様には、残念ながらそのあたりの視点や友人が欠けていたのかもしれませんが、直接の
面識のない私には、断定的に判断することは出来ません。
ただ、見習うべき点があるとすれば見習えば良いだけの事ですし、そうでないなら、反面教師として自分
を律していけば良いだけの事だとも思います。
・・・あ、調子に乗って長々と書き連ねてしまいました。
結婚の経験すらない未熟者が、エラそうな事ばかり申し上げてすみません。
でも、これが、私の今現在の意見です。
これも、将来的には変わっていく意見なのかもしれませんが。
お見苦しい長文、大変失礼いたしました。
S様に良縁の巡り合わせがありますよう、心から願っております。

そして上記の内容を受け、S様からのメールを次に掲載いたします。


元ヨメは関西のある伝統的・保守的な地域で生まれ育ち、結婚後一時的に隣の県で生活する程度しか他の
土地での生活を知りません。
私は全く別の地域からそこに就職でやってきました。(これだけで地域特定されそうですが)

HIDE> だから、私は客観的に物事を観たいと思った場合、「客観視用
HIDE> フィルター」をかけて物事を観ます。
HIDE> 
HIDE> もっとも、その場合は自分が「標準」からどの程度、どの方向に
HIDE> ずれているかを自覚していなければ意味を持ちませんが。
HIDE> 
HIDE> また、そのフィルターも所詮主観が入っているものですから、
HIDE> 「とりあえず主張」してみて、周囲から「おかしい」とか「反発」の
HIDE> 意見を感じるようであれば、さらに周囲の意見と合わせながら
HIDE> 補正していきます。

そうなんですよね。
純粋に客観的な視点など人間には不可能なのではないでしょうか?
私も同じ様なことをやっていますが、’標準’が難しいですね。

HIDE> つまるところ、主観であれ客観であれ、自分の主張する意見は
HIDE> 多くの意見の中の一つに過ぎない訳であって、他の意見も
HIDE> 許容する度量の広さが必要なのではないでしょうか?

なるほど。
こう考えれば私の思っていることもなんかまとまりそうです。
人の意見ってその人を好き/嫌いで重みが変わってしまうこともありますが、嫌いな人の意見ですごく
良いものがでてきたりすることも往々にしてあります。
そのため、人の意見はなるべく好悪の感情を排除して聞くように心がけています。
十分にできているとは思えませんけど。

HIDE> もちろん度量の広さとは、無差別・無制限な意見の受け入れを
HIDE> 意味するものではありません。

結婚生活で最終的に私はこれを要求されていました。
ちょっと受け容れられるのは難しいですね。自分をなくすわけですから。

HIDE> ちゃんと咀嚼して、自分の中で再構築して、受け入れるべきところ
HIDE> は受け入れる、そうでないところは納得のいくまで話し合うと
HIDE> いうのが本来の姿だと思います。
HIDE> 
HIDE> ・・・思いますが、ここまで出来る人間はそんなに居ないでしょうね。
HIDE> 言うまでもなく、私だって出来ません。
HIDE> 
HIDE> 多くの場合、人はそこまでヒマじゃありませんしね。

結婚当初、他人同士が一緒に暮らすわけですから意見の違いはあると思います。
共同生活をするわけですから、お互いが譲って妥協点を見いださなくてはならないでしょう。

相手の意見全てに対して、HIDE様のおっしゃるようなことは不可能ですので、取捨選択することに
なるのは仕方ないと思います。
ただ、その際に、自分は相手が重要だと思っていることはこれだ、と特定したとしても、その時点で自分
の価値観という物差しを基準とせざるを得ないわけです。
元ヨメはその自分の物差しが国際標準のメートル原器やと思っているようで、価値観は変わらないという
考えでしたから、私の意見が自分の価値観にあわなければ排除されてしまいました。
私は価値観は他人の影響を受けて変わって行くものと考えていましたので、元ヨメの意見を一旦聞いて、
自分なりに解釈した上で返事をしていましたが、’なぜ私の言いたいことがわからないのか’と怒られて
ばかりでした。
元ヨメにはその点がすごいストレスだったのでしょう。
何せ他人と生活するのははじめての人でしたから。

HIDE> じゃ、妥協点として、どこまで出来ていれば良いのか?という事
HIDE> にもなりますが、私の場合、先述のものと重複しますが、
HIDE> 
HIDE> ・自分の意見を絶対的なものとせず、数ある意見の一つに過ぎない
HIDE> 事を自覚する。
HIDE> ・他人の意見を鵜呑みにせず、必ず自分のフィルタをかけて聞く。
HIDE> (これは、???と思われるかもしれませんが、重要だと思います)
HIDE> 
HIDE> といったところでしょうか?

両方共、私の考えと同じです。
元ヨメは一つ目の中の’自分の意見を絶対的なものとせず’という部分が全く欠落していたように思います。
自分に自信を持つということは良いことだと思いますが、それと’自分の意見は絶対’というのは全く違
うんですよね。
私は元ヨメに対して、この点を理解してもらおうといろいろと工夫して説明したのですが、’自分の意見
は絶対’と思っている人に対して説明するのは本当に大変でした。結果的に失敗でしたし。

二つ目の自分のフィルタをかけて聞く、ということに関しては、だいたいの人が無意識にそうしているの
だろうと思います。
自分に自信が持てれば、まず間違いなくそうしているでしょう。
ただ、そのフィルタが一つ目の’自分の意見を絶対的なものとせず’ということができていなければ、
偏った見方しかできないことになります。

いろいろ考えてみると、客観的な視点でものを見るというのは、やはり難しいことですね。
HIDE様の言う客観的視点というのを私なりに解釈して言い直すとすれば、’多くの異なる視点’かな
と思います。
周りの人の見方でフィルタを補正するというのは、複数の違った視点からものを見ることと同等なのでは
ないでしょうか?周囲の人の見方を身につければどんどん視点が増えて行き、’かなり客観的な’見方を
できるようになるのではないか、と考えました。

HIDE> 正論ばかり主張する人間は結果として嫌われます。
HIDE> また、常識を逸脱した人間も嫌われます。
HIDE> その両極からのバランス感覚が麻痺しないよう、気を付けたいと思います。
HIDE> 
HIDE> 私は冒頭でも述べたように「変な人間」ですから、ともすれば
HIDE> そのバランスを崩しがちです(笑)

私は正論ばかり主張しなくてはならない業務についています。
本人はちゃらちゃらしているのに、正論を主張する変なやつですから周りはさぞ煙たいことだろうと同情
してしまいます(^^;。

HIDE> ただ、幸いなことに私の周囲には、私が逸脱したときにそれを
HIDE> 躊躇なく厳しく指摘してくれる得難い友人が居ます。
HIDE> そのお陰で、ずいぶんと私は助かっています。
HIDE> 
HIDE> なあなあの友人だけではなく、自分に厳しい友人を持つことも重要
HIDE> かと思います。
HIDE> 元・奥様には、残念ながらそのあたりの視点や友人が
HIDE> 欠けていたのかもしれませんが、直接の面識のない私には、
HIDE> 断定的に判断することは出来ません。

私も先輩、友人などからかなり厳しい指摘を受けました。責任感がないのか、ということも言われました
(子供の事がありましたので)。

元ヨメにも友人はいます。とても良い人たちでした。
元ヨメの’自分の意見が絶対’という点を十分昔から理解しており、よく議論などもしたようですが、
最終的には友人たちが一歩ひいて終わり、となっていたようです。
もともと近所に住んでいる人なので地域性は共通していますし、理解もしやすかったのかもしれません。

元ヨメと特に仲の良い友人と離婚前に電話で話した時も、元ヨメは話の中で矛盾している点もあったり
するし、きつい言い方しかできないし、人の意見を聞かないことはわかるけど、それを許容してやって
ほしい、と言われました。

しかし、いかにけんかしている状況とは言え、
’あなたの話は主観しか入っていない’、’あなたには自分がない’、
’あなたの話など聞く価値がない’、となり、挙げ句の果てに
’ある意味この家であなたに人権はない’とまで言われて、
そのことに対して謝罪を求めても謝ろうとしないという状況ではさすがに許容できませんでした。

価値観というのはそれまでの環境に左右されるものだと思います。
特に両親からは基本的な価値観を得ることになるでしょう。
私の中で価値観を否定されるということは、両親を否定されるに等しいものでした。
私は元ヨメに対して価値観を否定するようなことはしたつもりはありませんでしたが、元ヨメはそう感じ
たこともあったのかもしれません。
ただ、離婚の条件交渉中、私の両親に電話をかけた元ヨメが’ご両親の育て方が悪かったんじゃないです
か’と言ったことを両親が泣きながら言ってきた時は、さすがに自分がそういうことを言える相手と結婚
したことを悔やみましたし、見抜けなかった自分を恥じました。また、正直元ヨメに憎悪を感じました。
同時に、そこまでして自分の価値観にしがみつかなくてはならない元ヨメに哀れさも感じました。

まあ、結局のところ逃げ出したわけなので何を言っても格好悪いことなのですが、HIDE様の考え方を
見て何か自分の中で整理できていなかったことが見えてきたことがうれしくてメールを出させていただき
ました。

長々とおつきあい下さってありがとうございました。