楽しくやろうよ介護生活

はじめにより一部抜粋)

ともすればつらい介護生活を少しでも明るく乗り切ろうと、介護をギャグの観点から捉えてみることにしました。
高齢化社会の現代日本で、私のように家族の介護をする人は今後急増すると思われます。

介護をする側・される側の双方にとって、本コーナーのギャグ性によって少しでも精神的な負担が軽減される事を願います。
ま、悲観したって楽観したってどうせ(介護を)やらなきゃならないんなら、せめて楽しみましょうよって事です。



一周忌

母が他界してから今日(2004年5月31日)でちょうど一年が経過しました。
やはりというか、過ぎてみれば一年というのはあっという間でしたね。

今日は午後に雨が降るらしく、年老いた父を足下の悪い墓参りに連れて行くのも危ないので、とりあえずは自宅で一周忌を済ませました。
後日天気の良い日に改めて墓前で成仏を願って回向する事になります。

ある程度の形式は必要なのでしょうけれど、一番肝心な事はやはり遺された家族が真剣に故人を偲び、成仏を願う事だと思います。
そしてそれは何も一周忌とか三回忌とかの法要の日だけではなく、毎日欠かさず願う事だとも思い、実践してきました。

その意味では法事の日だけ亡き母の存在がクローズアップされるのではなく、日々の生活の中に自然に(母が)存在している訳で、それこそが「家族」というような気がします。

・・・って、読み返してみると去年の初盆と大差ない事しか書いていないですね。
ということは、この一年進歩がなかったという事でしょうか?

このページのトップへ


初盆

今日(7月15日)は母の初盆(新盆とも言う)です。
私の住む地域では8月を初盆とする事が多いようですが、我が家ではコミケの為に、東京などの地域で多いとされる7月に行う習慣(?)を選択しました。

一般に初盆には親戚一同集まる事が多いようですが、うちは父と私の二人だけ。
しかも団地ですから、玄関先での迎え火や庭(はないので、バルコニー?)での送り火も出来ません。
形式的に見れば、至って小規模の初盆となりました。

ちなみに、四十九日を迎える前に初盆が来た場合は、翌年に行うのが普通だそうです。
うちは7月18日が本来の四十九日で、それに当てはめれば初盆は来年となります。
しかし、7月18日は平日ですので、繰り上げて7月12日に四十九日を行いましたから、その場合は今年となります。
また、8月に初盆をやるとすればいずれにしても今年が初盆な訳です。

そう考えると、うちのようにどちらにも当てはまる場合、初盆は今年か来年かで迷う事もある訳です。
但し、私は迷いはしませんでした。
形式や行事が大事なのではなく、日常の回向(の気持ち)が何よりも供養になると、私は考えていますから。

なーんて言いながら、アホな事(例:萌え炉利っく)書いてサイト更新やっているようじゃ、まるでダメだね(笑)
罰当たりな事は今日に始まった事じゃないし、今更取り繕ったってしょうがないし(^^;

ところで、盆には先祖の霊が自宅に帰ってくると言われていますが、もしも既にこの世に生まれ変わっている場合は、どうなるんでしょう?
幽体離脱をしてでも帰ってくるのでしょうか? まさかね。

うちの直系は約350年前かららしいのですが、その元は約800年くらい前からで、その中の幾人かはもう既に生まれ変わっていても不思議ではないようにも思えます。
もちろん、大前提として人間に生まれ変われば・・・の話ですが。

このページのトップへ


七七日

亡くなった日から数えて7日目を初七日(しょなぬか)と言い、一週間ごとに二七日(ふたなぬか)、三七日(みなぬか)と以後続きます。
一般的には四十九日(=七七日)の法要を終えて「喪が明けた」とするそうです。

で、母の場合は7月18日が七七日ですが、その日は金曜日。
平日の場合は参列者の都合も考慮して前へずらして行うこともあるそうで、うちでは本日平成15年7月12日をもって七七日の法要を執り行いました。

これで喪が明けたことになり、ようやく一段落ついたという感じですね。
もっとも、喪が明けたからと言って特に生活に変化があるわけでもなく、普通にオタクっぽい(^^; 人生を過ごしている訳です(笑)

ちなみに葬儀社のくれた法要日程表によれば、次回の法要は百ヵ日だそうです。
さらにその先を見ると一周忌があり、最後は百回忌! 平成114年5月31日。
えっと、私はその時138歳で、年二回コミケがあるとして第264回のコミケの準備をしながら法要を営むんですかねぇ(笑)

その頃には既に私もこの世にいないと思いますが、私も独身でいる以上は後継ぎもいない訳です。
親戚もごくわずかしかなく、将来的には事実上天涯孤独の身となる訳ですが、私が死んだら誰が喪主となって葬儀をやるのでしょうか?

喪主が誰かはともかく、私の葬儀は、せめてお供えで書いたように参列した人が思わず目が点になるような、ギャグと笑いに満ちた葬儀にして欲しいものです。
そして棺の中へ入れる副葬品には同人誌とパソコンを入れて、火葬場で思いっきり笑われた後に(少なくともパソコンは)却下されて・・・

このページのトップへ


友人

母が亡くなり、うちは私と父の2人しかおりません。
通夜の時、受付を普通は家族・親族の誰かがやるのだそうですけれど、私は喪主で参列者に応対しなければなりませんし、父は高齢で長時間立っている事が出来ません。
つまり、誰かに受付を頼む必要が出てきました。

葬儀社の人によれば、「現金を扱う以上信用の出来る方で、なるべく参列者の中で最大限面識の広い方に頼んではどうか」との事です。
母自身の交友関係は私も父も全く知りませんでしたので、その中の誰かに頼む事も出来ません。

それ以外の参列者の中では、私の友人関係が最も多いと予測されました。
20年近いブランクのあった友人は信頼度の点では問題ないものの、面識度の点ではどうしようもありません。

幸い、彼以外の私の友人は信頼度(特に今回の場合は金銭面)に於いて、全幅の信頼を寄せることが何のためらいもなく出来る人達ばかりです。
逆に言うと、候補が多すぎて困ったくらいですが、結局は比較的年長の友人2人に頼むことにしました。

その彼らも何の躊躇もなく引き受けてくれ、お陰様で無事に法要を営むことが出来ました。
彼らとは毎週のように会っていますが、改めてここでも感謝の気持ちを表しておきたいと思います。

このページのトップへ


事務的

旧知の知人に電話を掛けた時もそうですが、葬儀社からの電話待ちなど、今回は携帯電話がすごく役に立ちました。
もちろん病院内では携帯電話の使用(電源を入れているだけでもダメ)は出来ませんから、病院の玄関を少し出たところにいる必要はありましたが。

で、葬儀社からの電話待ちの時です。
私の携帯電話が鳴りました。
電話に出てみると、残念ながら葬儀社からではなく、目の前(というよりか後ろ?)にあるその病院からでした。

病院側「手配はどうなっていますか?」
HIDE「今手配中で連絡待ちです」
病院側「連絡待ちならそう言ってくれなければ困ります。いつまでもICU(集中治療室:母の亡くなった場所)に置いておけませんから」

状況を報告しようにも携帯電話で連絡を待っている以上、(携帯電話の)電源を入れたまま病院内に報告しにいく訳にもいきません。
また、約束の時間(午前中の引き取り=正午)にはまだ1時間くらいはありました。

私としては、病院の玄関先で電話を待つ以外に、どうしようもありませんでした。そこへこの言葉です。
こちらの詳細な状況を病院側は知らなかったかもしれませんが、家族を亡くしたばかりの者に対して、何と無配慮で無神経な言葉なのでしょう。

ただでさえ必死の思いでいろんな手続きを手配している遺族に対して、より一層責め立てる言葉を投げかけるのが、果たして病院側のやることでしょうか?
せめて冒頭にお悔やみの言葉でもあればいいものを、それも全くありませんでした。

理論的に考えれば、病院は死者や遺族へ一分一秒を捧げるよりも、患者(生者)に対して命を救うべくそれを行うべきです。
その意味では医師や看護婦さん達は、生きている時の母に対しても、息を引き取ってからの母に対しても、最大限の努力と誠意をもって対応してくれました。
しかし、彼らよりは一分一秒を争わないはずの事務部門の方が、一分一秒を惜しむがごとく遺族を無神経に急かすのは、はなはだ矛盾を感じざるを得ません。

医師達は、命の尊さを、まさに職務経験上肌で感じ取っているに違いありません。
それに比べ、事務部門の人にとっては、死者も患者も何もかも、職務上は単なる文字や数値に置き換えられてしまうのではないでしょうか。
このことから、医師達と事務部門との、遺族に対する心遣いの違いが出てきているのではないかと類推します。

つづく

このページのトップへ


頼みの綱

葬儀に対する準備期間も、母の死を悼む時間も与えられず、いきなり約2時間以内に遺体の引き取りや様々な手配を病院側から求められました。
近隣に親戚などいれば頼ることも出来るでしょうが、私にはそれが出来ませんでした。

病院の(公衆)電話帳で葬儀社や葬儀会場などを探そうかとも思いましたが、その病院は自宅とは違うエリアの管轄です。
もしかしたら(電話帳単位の)エリア外でも引き受けてくれるのかもしれませんが、極力地元の事をよく把握している葬儀社や会場を選びたいと思うのは当然の事です。
結局、電話帳は何の役にも立ちませんでした。(NTTの番号案内も、その意味ではこういった特殊な事情には不向きです。)

何か手がかりはないかと考えを巡らせた末、携帯電話のアドレス帳を片っ端から閲覧し、誰か頼めそうな人がいないかを探しました。
その結果、住んでいるのはあまり近隣とは言えませんが、高校時代の同窓生で、うちの事情にも詳しい知人がいました。

お互いに40歳近い年齢で、一時期は20年近く会っていませんでしたが、母の件とは関係なしに偶然最近再会を果たしており、電話番号の交換も済ませたばかりでした。
もうその人に頼むしかありません。
幸い、その日は日曜日でしたので、昼間に電話してもすぐに繋がりました。

事情を話すと快く手配を引き受けてくれ、葬儀社からの連絡待ちということになりました。
20年ぶりのブランクも何のその、彼は見事に私の求める以上の手配を完璧に済ませてくれました。

後日談になりますが、そのおかげもあって、私や父の予想していた2〜3倍の方々に葬儀に参列して頂きました。

つづく

このページのトップへ


手配

※2003年7月9日発表、翌10日大幅改訂、同月12日小幅改定

病院(救急車もそうだけど)はおよそ生きた人間の為にあるもので、極端な言い方をすれば死人には用がありません。
また、人はいざという時、何の損得勘定も駆け引きもなしに、無条件に信頼出来る人がどれだけいるかも重要なことだと改めて気づきました。
これらのことについて、4回に分けて私の感じたことをお話ししたいと思います。

母は救急車で病院に搬送されてから、およそ15時間後に亡くなりました。
搬送時には命の危険すら認識しておらず、母本人はもとより私や父にとっても“急死”の他なりません。

余命あと○○日とか○○ヶ月とか予め言われていれば、葬儀社や段取り等を決めておくことも出来たでしょう。
でも今回はそんな時間は全くありませんでした。

亡くなったのが午前9時08分。
一旦控え室に戻った私と父は、病院側から「午前中に葬儀社に引き取りに来てもらうよう手配して下さい」と言われました。

「そんなに急に言われても、手配って出来るのだろうか?」と思いつつ、慌てて葬儀に向けての準備が始まりました。
母の死を悼む暇もなければ、落ち着いて手配を考える暇もありません。

「葬儀社ってどこに頼めばいいの? 頼んだとしてすぐに来てくれるものなの? 葬儀社も宗旨宗派があるの? 葬儀会場の手配は?」
急にそういう手配を求められても、解らないことだらけです。

親戚などいれば、そこに連絡して手配を頼むこともできるでしょう。でも、うちには親戚は半径400キロ以内にはおりません。
また、私は都会の団地にありがちな、隣に住む人の顔や名前すら知ない状態で、近所づきあいも無いに等しいのです。
それに私の友人の多くは20キロくらい離れた市に住んでいて、近隣の葬儀社や会場の手配を頼むことも出来ません。

私は途方に暮れてしまいました。

つづく

このページのトップへ


前兆

母の死に関して前兆のようなものがあれば、言うまでもなく判明した時点で対処しています。
でも残念なことに、しかしながら死が避け得ないものなら、ある意味では幸運なことに、母はギリギリまで普段通りの日常生活を送って(楽しんで)いました。
少なくとも亡くなる前日まで(救急車を呼ぶまで)は、身体的・容態的変化は全く見受けられなかったのです。

でも、父が述懐するにはこういうことがあったそうです。
それは容態の急変により救急車を呼ぶ前日、つまりまる一日全くの「日常」を送った最後の日の事です。

その日は当時の過去数ヶ月通り、父と私で母の介護というのが日常でした。
母の様子もだいぶ快復し、私もファミレスでバイトをしながら介護・バイトなどの日常生活がてら、さらなる快復を待っていました。

普段通り私はバイトに出かけて行って、父が昼間台所仕事をしていると、母が父にこう言ったのだそうです。

「お父さん、有り難う」と。

丁寧に頭を下げての謝辞。
その時父は「何をいきなり改まった事を言うのだろう? 変だな」と思ったそうです。
台所仕事に対しての謝辞でないことは、その瞬間を見ていない私でも、母の普段の言動や性格から本能的に(?)理解できます。

また、母は「せん妄」「失見当識障害」で記憶の混乱を来していました。
その状態に於いては、深い打算に基づく言動など出来るはずもなく、「有り難う」の一言はかえって、まぎれもない本心であったと断言できます。

父は、まさかそれが母の死に繋がる兆候だとは思ってもいなかったと述懐しています。
もちろん父も全知全能の存在ではありませんし、その当時は母の容態に何の変化も無かった訳ですから、母の死を予見できなかったことについて父を責めるのはお門違いというものです。

人間、誰しも自分や他人(家族も含む)の死を予見できるものではありませんが、もしも介護中のご家族・親類などを抱えておいでの方がみえたら、参考にして頂ければ幸いです。

このページのトップへ


錯覚

入棺前の事です。

私も含めその場にいた全員が、異口同音に同じ感想を抱いたことがあります。
それは「読経の最中、まるで母が息をしているみたいに見えた」と。

読経を終え、よく見るともちろん息などしていません。
再び読経が始まると、誰もがまた同じ錯覚に陥りました。

当然ですが錯覚以外の何者でもありません。
でも、全員が同じ錯覚に陥るあたり、読経によって生まれ変わるための新たな生命力が吹き込まれたのかもしれませんね。

このページのトップへ


成仏しまくり?

そんな心配しなくてもでも書いたうちの不動産経営。
書いた後もさらに引き合いが。

今まで1年近く全然借り手が見つからなかったのに。
母の生前と死後でまるで違う盛況ぶり。

もしかしてお母さん、成仏しまくって(この表現、変?)かなり余裕あるの?

このページのトップへ


罰当たり

喪が明けないうちどころか、母の葬儀当日に

「次回コミケは四十九日が過ぎて喪が明けた後だから、参加に支障ないな」
「葬儀などのことも、次回作品にどうやって盛り込もう」
「そういや新盆はコミケ会期と重なるかな。7月に新盆を済ませば重ならないけど・・・」

ふと鏡を見ると、親の葬儀当日に次回のコミケに思いを巡らす大馬鹿者の姿がそこに(笑)

このページのトップへ


重み

母(の遺体)を病院から自宅へ迎え入れる時、あるいは通夜・告別式場までお供する際、もちろん喪主たる私も働きます。
体重が私よりおよそ10キロ近く軽いとはいえ、やはりその重さは物理的な重みもさることながら、命の重みも感じさせます。

「人間は、自分自身ではこんなこんな重い体を普段はやすやすと動かしているのは、実はすごいことだったんだ」と。

火葬が済んで拾骨の際、骨だけの母を見て何とも言えない気持ちになりました。
やがて骨壺を両手に抱えた時にはその軽さに驚き、でも、軽さの中にも独特の、言葉では言い表せない重みを感じたのです。
通夜・告別式での重量感との対比がより一層強烈に感じられ、私の気持ちも母の死を悼む気持ちから、供養のために回向していこうという気持ちへ切り替わりました。

このページのトップへ


お別れの言葉

出棺時、蓋を閉じる前に最後のお別れの言葉を掛けてあげます。
私は、
「お母さん、来世でまた親子として巡り会いましょう。その時を楽しみにしています」
と声を掛けました。

私は母のもとに育てられたことを誇りに思い、且つ、いままでずっと幸せを実感してきました。
母の生涯もまた、様々な苦難に勝利した自信と誇りに満ちた人生だったと思います。
そんな人生を歩んできた母ですから、きっと自分の人生は「幸せだった」と断言できるに違いありません。

このページのトップへ


お供え

通夜や告別式では、故人が普段使っている茶碗にご飯を盛り、普段使っているコップ(又は湯飲み)に水を汲んでお供えします。

・・・ん? 普段使っているコップねぇ。
私の場合、こんなのではいかがでしょうか。

いや、さすがに普段使っている訳じゃないけど、死して尚、ウケを狙うにはいいかも。
同様に、遺影写真もこんなのはどうでしょう。

・・・などと、実際に執り行われている母の通夜や告別式の最中に、つい考えてしまった私ってやっぱりバカ・・・というより親不孝?
普通、通夜や葬儀はもっとまじめにやるもんですよねぇ(^^;

このページのトップへ


服装

当たり前と言えば当たり前なんだけど。
救急車で病院に運ばれる時って、自宅からならまだ着替えも出来ましょうが、外出時にはその時来ている服装のままという事になります。

ってことは、同人誌即売会などでコスプレ最中に救急車で搬送されたら・・・
運悪くそのまま息を引き取ることになったら、コスプレが死に装束という事にもなりかねません。

コスプレ中は、怪我や急病には特に気をつけたいものですね(^^;
でないと、それこそ遺族を巻き込んだ末代までの恥(笑)

このページのトップへ


観察

母が危篤状態の時の話。

「ダイナマイトナース」とか「エン女医あきら先生」とかの漫画本のネタを思い出してみたり。
あと、やっぱりついつい観察してしまうんですよね〜、看護婦さんを。

看護婦さんって制服だから、外観上の個性を発揮・・・つまりおしゃれ?・・・するには腕時計とかナースキャップを留めるヘアピンへのこだわりが結構あるみたいですね。
(中にはそうでない人もいるみたいですけど)

親が危篤状態の最中に、よくもまぁそんな事思い浮かべるもんだなぁと。
さしずめ私は「後天性真剣味欠乏症」といったところでしょうか。

※最近は「看護婦」ではなく「看護師」の名称になったらしいですが、病院内でも看護婦さんを含め誰一人「看護師」という名称を使っていませんでした。
・・・っていうか、自分で書いてて今更気づいたけど、そんなところまで観察していたんだね、親の危篤最中に(^^;

このページのトップへ


そんな心配しなくても

うち(私ではなく父)は何件かの不動産経営をしていますが、そのうちの一件がずっと空き状態でした。
もちろん借り手を募集していましたが、この不況の折り、長期にわたって契約に結びつきませんでした。

ところが、何と葬儀当日に電話が入り、借り手が見つかったのです。
驚くことにその翌日も借りたい旨の電話が入り(結局は断りましたが)、急にうちの事業が活気づいてきました。

偶然のタイミングなのでしょうけど、もしかして母がうちの家計を心配してくれたのでしょうかねぇ。
あのぉ、お母さん。
うちの家計は大丈夫ですから、そんな心配しなくてもちゃんと成仏することを考えて下さいな(^^;

このページのトップへ


遺産相続

母の遺産がどれくらいあるのか、私も父も具体的に知りません。
少なくともマイナス資産(つまり借金)は無いのは確かですけど。

葬儀関係も一段落し、父と食事中に私はこう言いました。
「家族構成の観点から、法律上私は半分の財産を相続する権利があるらしいけど、全部管理(相続)して欲しい」
それに対して父は
「信頼してくれて有り難う。やがてはお前のものになるのだから、きちんと管理する」

私も父も裕福とは言えないまでも、幸いお金には困っていません。
世の中には、血縁同士、時には親子の間で醜い争いをする例もあるそうですが、うちはそんなもんとは全く無縁です。
それにうちは親類もほとんど居ませんし、わずかな親類はうちより遙かに裕福ですし(^^;
(その親類も法律上は相続権無し)

繰り返しますが、母の遺産がどれくらいなのか知りません。
もしかしたらたったの1円かもしれませんし、1万円かもしれませんし、1億円かもしれません。
でも、相続に関して手続きなどで時間や手間を取られる事の方が、私にとってはマイナスです。
面倒なことは遺産と共に父に押しつけたのですが・・・このことは公然の秘密です(笑)

それに、最も大切な遺産とは、金品・財産などではなく、故人から生前に何を学んだのかということではないでしょうか。
もちろん故人だって人間ですから、長所しか存在しないという訳ではありません。
それなりに長所もあれば、もちろん短所もあるのが当然です。
長所は率直に参考にし、短所は我が身に置き換えての反省材料として故人から学べば、結局の所すべて自分のプラスになるのです。
その意味では私は既に遺産相続を済ませており、あとの世俗的な金品・財産には全く興味がないのです。

このページのトップへ


後悔

介護しながらの日常生活の中で、私が母と交わした最後の会話は、喧嘩・・・というより、愚痴でした。
(その後の会話は、母が救急車で運ばれてからの「非日常」での会話でしかありません)
記憶が混乱している母は、医者の言いつけを忘れ(というか、覚えることが出来ない)、例えば睡眠時間に関して守った事がありません。

もちろん悪気が無いのは充分承知しているのですが、ついこう言ってしまったのです。
「一体いつになったら医者の言うことを聴く(守る)つもりなの?」

言ってはいけない言葉でした。
口論となり、ふてくされて寝てしまう母。
翌朝、私が仕事に行く時もまだ眠っていたままでした。

起こしてはかわいそうと、声を掛けずにそのまま出勤したのですが・・・
まさか口論が自宅での最後の会話になるとは、この時は夢にも思っていませんでした。

何のために16年以上勤務した会社を辞めてまで介護に専念したのか。
いや、専念どころか最低限の介護すら出来ていなかったのではないか。
「後悔先に立たず」「孝行したい時に親は無し」という諺がありますが、それを知りつつもその愚を犯すとは。

私の5年や10年の寿命は削ってもいいから、たった5日か10日だけでもいい、時間を戻せたらいいのになぁ。

このページのトップへ


死の瞬間

詰まった大動脈部分のバイパス手術が成功して数時間後、真夜中の1時過ぎに看護婦さんが呼びに来ました。
「血圧、心拍数とも低下しています。至急、面会のご用意をして下さい」

「あ、とうとうその瞬間が来たか」と思いました。
で、面会してからしばらく経っても、妙なもので低下した状態で「安定」してしまいました。
「お母さん、僕だよ。判るね?」
麻酔がまだ効いているのか、呼びかけに対しほとんど変化はなかったものの、気のせいかわずかにうなずいたようにも思えました。
手を握ると、わずかに握り返して来るような気もします。
逆に言うと、そんな気がするだけの状態でしかなかったのですけど。

医師・看護婦からは「長引いて済みません」と言われましたが、「済みません」は適切な言葉じゃないでしょう。
だって、安定状態が長引くほど母の寿命は延びるのですから。
むろん医師達は悪気があって言ったわけではなく、そんなことよりも治療に専念して貰いたいわけです。
再び控えの部屋に戻り、仮眠を取ることになりました。

やがて仮眠中の私は夢うつつで「午前8時に何か変化がある!」と悟るような感覚があって目覚めました。
時計を見るその8時のわずか10分前。
控えの部屋と治療の部屋とは病院のビル自体が違い、決して周囲の雰囲気が慌ただしくなったとかそういう事ではありません。
あくまでも「感」的なものでした。

もちろん快方に向かう「変化」を期待していたのですが、起床後、何があっても長時間耐えられるように食事を済ませました。
そしてちょうど食事を終えようかという時、再び看護婦さんが尋ねてきました。
「かなり危険な状態です。大至急面会のご用意をして下さい」
タイミング的にこれ以上ドンピシャな事は無いというくらいでした。
人生経験上、私の「勘」はかなりアテにならない事が判っていますが、そのアテにならない「勘」ですら何かしら変化を感じたのです。

父と共にICUへと向かったのですが、なにぶん父は高齢。
歩きの遅い父を放っておいて、私は早足で(病院内で走る事は厳禁)駆けつけました。
(とは言っても、わずか数十秒の違いで父も到着しましたけどね)

心拍数50前後、血圧30/20前後。
専門的な知識がない私でも、「こりゃダメだ」と一目で判る数値でした。
母の手を握り、最後の望みを掛ける私に、やがて医師はこう言いました。

「点滴や、脈拍を強くする薬などを投与していますが、もう(良い方向への)変化はありません」
「これ以上の投与は顔をむくませたりする原因にもなりますので、そろそろ自然な状態に任せようかと考えています」

間接的な表現ではありますが、何を言いたいのか判ります。
「はい、お願いします」と答え数分後、私は左手で母と握手するような形で、右手は母の左肩に置き、父はその様子を一歩下がってじっと見据えたまま、午前9時08分、ついに母は息を引き取りました。
こじつけかもしれませんが、母は高齢の父を気遣って仮眠の時間を与えてくれ、深夜ではなく翌朝に旅立つ時間を選んだのかもしれません。

「お母さん、今までありがとう」
そう声を掛けるのがやっとでした。

このページのトップへ


母他界

5月31日午前9時08分、「急性動脈閉塞症」により母が他界しました。
享年80歳。

亡くなる前日の昼頃、母が「足腰が痛い」と言い始めました。
歩くことが出来なくなり、求めに応じて父が痛い部分をさすったりしましたが、一向に回復しません。
そこでかかりつけの医者に電話で相談したら、まずは連れてくるように言われました。
私はその日は仕事で不在で、父から勤務先に電話が掛かってきて事情を聞きました。

もちろん私が帰ってから自分の車で運ぶより、救急車で運んだ方が圧倒的に速いわけです。
救急車の手配をするよう父に伝えたら、「救急車? 救急車は何番だったかな」
落ち着いていれば、おそらく即答出来る事でしょう。
かなり動転しているようで、119番の番号すら思い浮かばない様子でした。

私は勤務先で早退の許可を得、病院へ駆けつけるとほどなく救急車で母が運ばれてきました。
この時、父も私も、そして母自身も足腰の痛みが死亡に結びつくとは、夢にも思いませんでした。

診断の結果「急性動脈閉塞症」と判明。
急性動脈閉塞症とは、文字通り急に動脈が詰まってしまい、そこから先へ血液が流れなくなってしまう事です。
人間は心臓から大動脈が何本か出ていますが、その中の一つが足など下半身へと向かっています。
やがてその大動脈は左右の足にYの字型に分岐するのですが、分岐する少し手前で詰まってしまったのです。

正座を長時間続けたら足の血行が悪化し、しびれるような痛みを感じます。
完全に詰まった場合はもっと痛いと思いますが、その痛みが腰・両足に襲ってきていたのです。

手術は、詰まった血管部分を人工血管でバイパスする方法が採られる事になりました。
手術が成功すれば血流は復活しますから、何も問題ない・・・と思いがちですが、ここで一つ大きな問題点が発生したのです。

手術が成功するまでの間に、血流がなくなった両足・腰は、細胞の壊死がどんどん進んでいきます。
そうするといわば「毒素」が壊死部分に溜まり始めます。
そこに血流が復活すれば、毒素が一気に静脈を通って心臓に帰ってきて、やがて各内臓などに悪影響を与えるのです。

その悪影響に耐えられるかどうか・・・
かといって、手術をしないわけにはいきません。
このままでは両足と腰が腐り落ちてしまいます。
両足切断だけならともかく、お腹(腰)の部分を切断し、残りの上半身だけでは普通の人間は生存できません。

もちろん発症してから手術までの時間が短ければ短いほど、毒素は少なくなり生存確率は高まります。
医師からの説明では、発症後6〜8時間以内が限度だそうで、母の場合はちょうどその限度付近の時間が既に経過していました。

手術前に医師による説明によれば、致死率は50%。
やがて手術が始まり、バイパス手術自体は何の問題もなく成功しました。
あとは各臓器が毒素に耐えられるかどうかです。
・・・が、限度ギリギリまで溜まった毒素が高齢な母の内臓に襲いかかり、結局麻酔からほとんど覚めぬまま翌朝ついに亡くなりました。

亡くなる前日の昼頃までは、介護中とはいえ普段通りの日常生活を送っていました。
しかも医者からは最近、「(心筋梗塞に関して)もう治ったと言っても良いでしょう」と言われたばかりでした。
心筋梗塞は致死率の高い病気ですが、およそ2年かけ、ついにそれに勝利してから亡くなったのです。

亡くなった母の表情は、誰もが驚くほど安らかなものでした。

このページのトップへ


元旦早々・・・

元旦の、父が「一緒に酒を飲もう」と誘ってきました。
酒好きの私としては、もちろん断るはずがありません。

酒も進み、だいぶ良い気分になったあたりからだんだんと父が咳き込み始め、熱を測ってみると何と38.9度。
86歳の父に39度近い熱は安心できません。

ん? もしかして風邪だったら母にも感染しているかも!
で、測ってもらったら37度。

やっぱり、二人とも感染していました。
時刻は既に夜中だし、元旦なので普通の医療機関は休み。

仮にどこかへ連れて行こうにも、私は既に飲酒中で車の運転は出来ません。
救急車か? 風邪と思われる症状に、しかも元旦早々救急車の利用は大げさすぎます。

偶然にも先日、ゲストブックで救急指定病院についてお話頂いた事を思い出し、早速電話
タクシーで二人を連れて行き、診察を経て薬を処方してもらい、とりあえずは様子見に。

でも、何で酒飲んでる時に病院行き(この話ね)が立て続けに発生するかなー。

このページのトップへ


虚け受付(うつけうけつけ)2


電話帳で救急指定病院を探す。
診療科ごとにいくつか電話番号が違うみたいだけど・・・内科で良いのかな? 普通に名乗った後、

HIDE「86歳の父が39度近い熱を出しています。元旦のしかも夜間で普通の病院には行けないので、そちらへ電話した次第です」
病院「で、あなたはどうされたいのですか?」

診察・治療してもらいたいからどうしたらいいのか聞いとんのじゃ、ボケ! その為の受付電話窓口だろーが。
人生相談や出前頼む為に電話してんじゃねーぞコラ! それ以前に、質問に質問で答えるなよ。

HIDE「だから、発熱の症状があるので、それを何とかしたいんです」
病院「それであなたはどうされたいのですか?」

バカか?こいつ。 いや、バカだ、こいつ。 もう決定!
人の命を左右する事もある病院。その病院がこんなふざけた対応するとは一体どういうつもり?
一瞬、殺意さえ感じたよ、マジで。 一旦深呼吸して気持ちを抑え、

HIDE「そこでは診察してくれないのですか?」
病院「では、保険証をお持ちになってこちらへお越し下さい。場所は・・・(以下略)」

最初からそう言え、バカ!

この事例と言い、どうして病院はまともな電話受付ができないのだろう?
いや、多くの場合はまともなんだろうけど、こうも変な受付に当たる確率が高いと、さすがに信頼できなくなるな。

このページのトップへ


包丁パニック2

怪我をしてから時間が経っていること、そして現に右足親指が動かなくなっていることから、一時はどうなることかと思った。
・・・が、診察を受けてみると意外にも「傷口から雑菌が入って機能障害を起こしているから動かないだけです」と言われ、一安心。

後日レントゲン撮影でみても、骨に異常なし。
何針か縫っただけで済みました。

結果論から言えば、単なる切り傷で救急車呼んじゃった事になるね。まいったな、こりゃ。
でも、救急隊員の話によれば、絆創膏程度の傷でも救急車を呼ぶ人がいるらしい。

そう考えると、何針か縫うくらいの傷だったから、まだましな方かも。
ちなみに現在は、親指もほぼ正常に動作するようになりました。(抜糸はまだ先だけど)

このページのトップへ


包丁パニック

いつものように土・日を友人宅で過ごし、帰宅したHIDE。
翌晩、父と酒を飲みながら雑談していたら、サラッと一言。

父「一昨日包丁を足の上に落としてな、刺さったトコから先の右足親指が動かなくなっちゃった。大量に血が出てまいっちゃったよ

ひぃ〜っ! もしかして神経が切断されたのかっ!? 一生満足に歩けなくなったらどうすんじゃーっ!!
何ですぐに電話してくれなかったの? あるいは病院へ行かなかったの? しかも飲んでる最中にサラッと言う事かー!

車で連れて行こうにも、酒を飲んでいる最中に言うもんだから、ダメ。
既に真夜中なので、タクシーで行ったとしても病院は時間外。
やむを得ず救急車を呼んですぐさま病院へ。(続)

このページのトップへ


虚け受付(うつけうけつけ)

受診の際、通院前に事前に電話をするよう病院側から言われていました。

HIDE「お世話になります、○○です。受診をお願いしたいのでお電話を差し上げました」
病院「済みません、お電話での予約は出来ないのですが」

H「担当医の先生から受診前に電話するよう言われていますので、今回お電話を差し上げたのですが」
病「電話での予約は出来ないんですよ」

H「じゃ、直接受診にお伺いしてもよろしいですか?」
病「いいえ、必ず電話でご連絡の上お越し下さい」

は? ええと、聞き間違いなかな?

H「ですから、今こうして電話をしているのですが」
病「だから、電話での予約は出来ません」

何のこっちゃ

H「予約ではなく、事前に電話が必要との事でしたから、今こうして電話しているんですけど」
病「電話での予約は出来ないことになっているんです」

H「電話で予約が出来ない以上、直接伺ってもいいんですね?」
病「それはできません、事前に電話をされてからお越し下さい」

H「だからこうして今電話しているんです! では、担当医の先生やあなたの言う『事前に電話を』という話は一体何なのですか!?」
病「・・・他の者と代わります」

さすがの私もちょっとキレかけ。
代わって出た担当者とは、何の問題もなく話が出来ました。

お願いですから電話の受付には、日本語の理解できる人を置いといてね。

このページのトップへ


食事(料理)禁止令

人間、生活の中には様々な慣習があって、記憶の混乱があっても多くの場合、慣習通りにするものですが・・・

病院側から料理を禁止されてから、我が家では私や父が台所で料理することがすっかり慣習となっていました。
昨日までは母もその慣習に則って生活していた訳です、昨日までは。

なぜか今日になって突然、「台所を使う場合は主婦の私(母ね)に一言言ってくれなきゃ困る!」と言いだし。
男が台所に立つとは、主婦を馬鹿にしている証拠だ!」などと主張し、家の中では食事(料理)をさせてくれなくなりました。

一般的に「料理などの家事を主婦(女性)だけに押しつけるな」という主張は聞いたことがありますが、その逆は聞いたことがありません。
というか、健常時にはこの一般的な主張をタテに、私や父にもいろいろ手伝わせていたのですけどね。

それにしても突然180度主張が変わるとは、一体どういう変化があったというのでしょう?
・・・そんでもってその数十分後、そう主張した事自体コロッと忘れていて、そろそろ夕飯作ってくれと父に頼んでいる姿が(笑)

突然の変化ってのは、実害がなけりゃ意外性の点では面白い・・・かも。

このページのトップへ


お駄賃

先日、我が家に宅配便で荷物が届きました。
ピンポーン、佐川○便でーす。荷物が届いていまーす。

私がたまたま自室で手が離せない状態でしたので、母が出たのですが・・・
5分くらい経過してようやく受け取りが完了したのです。長い!

普通は1分もあれば、余裕をみても2分あれば受け取れるでしょー!!
残りの3〜4分は何をやってたの?

話を聞くと、1100円の着払いに対して小銭が無く、お札しか母は持っていなかったそうです。
そこで、家中を探し回って小銭をかき集めたそうな。そりゃ時間かかるわ(笑)

問題は、この後の会話。

「相手はお釣りを持っていなかったの?」
「そんなこと、聞かなかったわよ」

「何で聞かなかったの?」
「だって、子供だったから」

「はぁ?」
お駄賃でもあげた方が良かったかしら」

佐○急便は、「えらいねー、ぼくー。お駄賃あげるねー」とかいう程の子供を働かせてるとでも言うんかいっ!!
(面と向かってではないけれど)子供扱いされた上に、無駄な時間を費やしてしまった○川急便さん、ごめんなさいね。

このページのトップへ


血栓?

急性心筋梗塞って、血栓という血管中の“かたまり”によって、心臓へ流れる血管が詰まるのが原因だそうです。
今回の母の一連の騒動は、全て急性心筋梗塞から始まったのです。

それはさておき、ふいに心臓の血管が詰まったような感覚にとらわれる事ってありませんか?
母の発病までは気にもしていなかったのですが、私は1年に数回程度、その感覚にとらわれる事があります(※1)

10秒以上放っておいても詰まった感覚(=痛み)が収まらない場合、拳で心臓付近を強打すると治ります。
これで治らなかった事は一度もありません。
仮に血栓が詰まっていたとして、胸の強打によってそれが再び流れ出したとして、それは一体どこへ行くのでしょうか?

豪雨で増水した河川が少々の障害物なら強引に押し流してしまうように、ぐるぐると血栓が血管中を放浪するのかもしれませんね。
それはそうと、どうせ蚊に刺されるのなら、血栓だけ吸っていってくれ!って思う事ってありませんか?

あ、今回は介護の話とは無関係だけど、たまにはいいよね?

※1 急性心筋梗塞は遺伝性ではないらしいので、その点は私自身全く心配していません。

このページのトップへ


1年

去年のゴールデンウィーク最終日、母の急性心筋梗塞が発症して以来1年が経過しました。
心臓は明らかに快復傾向にあり、予断は出来ないものの既に命の危険は去って久しい状態にあります。
むしろせん妄による記憶の混乱の方が現在の最大の問題点ですが、これは直接的には命に直結した問題ではありませんし、私と父による介護で充分カバーできる範囲です。

こうしてまた1年ごとに無事でいられることを、将来に渡って可能な限り永く続けたいものです。

このページのトップへ


年表

せん妄や失見当識障害の状態では、思い出レベルの記憶はしっかり残っています。
但し、日常生活レベルの記憶−−−3分前、3日前、3ヶ月前、3年前など−−−はかなり混乱していますけど。
そこがいわゆる痴呆と違うところで、痴呆、とりわけ重度の痴呆患者を介護されている方よりは、まだずいぶん楽です。

・・・ま、それはそれとして。
「今日の日付は?」
「平成○○年△△月□□日」(いつもほぼ正確に答えられます)
「じゃ、大正時代は何年まで続いた?」
「15年」
「昭和は?」
「20年」
(なんじゃそりゃ)
「・・・・・じゃ、東京オリンピックは?」
「昭和39年」
「だったら昭和は少なくとも20年で終わってないよね?」
「うん」
「じゃ、昭和は何年まで続いた?」
「20年」
(コケッ)
「・・・・・私の誕生日は?」
「昭和40年1月22日」(合っています)
「だから、昭和は20年で終わっていないでしょ?」
「うん」
「で、昭和は何年まで続いた?」
「20年」
(ぷしゅ〜)
「東京オリンピックは何年に開催された?」
「昭和20年」
「東海道新幹線開業は?」
「昭和20年」
「大東亜戦争の終戦は?」
「昭和20年」
(だ〜)
「じゃ、戦争が終わった年に東京オリンピックが開催され、新幹線も開業したの?」
「うん、確かそうだったと思う」

終戦までの話はよく覚えていて、且つ、年号も正しいです。
終戦から昭和50年頃までは年号はあやふやでも、大体の記憶は正しいです。
ところが、昭和50年頃から現在に至るまでの、比較的最近の記憶は混乱しています。

こういう時って、正確な記憶や情報をついつい相手の頭に直接「インストール」したくなっちゃうんですよねぇ(笑)

このページのトップへ


凹み

済みません、今回ちょっと(かなり?)凹み入っています。
(つまり愚痴モードですので、読み飛ばして下さい)

夜の10時と2時に突然母が、「ダイヤの指輪と印鑑と通帳が無くなった」と言って騒ぎ出しました。
それだけなら正直言ってそんなに苦にはなりません。(その為に私は仕事を辞めて父と共に介護しているのですから)

ところが困った事に、父に対し「どこかに隠している女へ(指輪等を)あげたんだろう!」と言い始めたのです。
85歳(2002年5月現在)の父にとって、浮気などあるもんですか(笑)
っていうか、仮にその気があったとしても、母の介護のため、物理的に浮気など不可能です(^^;
(ちなみに過去に於いてもその手の話に関しては我が家は平穏無事でした(笑))
ここまでなら記憶の障害を起こしている患者の、よくある話で済みます。

「あー、また記憶の混乱が起こっているんだろうから、しょうがないなー」って事で、自分の部屋をよく探してみるように説得。
当然の事ながら、無くなったと勘違いしていた物は、全て母の部屋から見つかりました。
これにて一件落着・・・と思いきや、「勝手に(父が指輪などを)移動した」とか、自分が騒ぎを起こしておきながら「こんな騒ぎを起こして、私を追い出すつもりでしょう!」等と言って、今度は被害妄想・他罰意識に凝り固まってしまいました。

それはそれとして、相変わらずせん妄(失見当識障害)による記憶の混乱は続いています。
せん妄と被害妄想・他罰意識が頭の中でドッキングしたらしく、およそ10分間隔でありもしない浮気の話で父を責め立てたり、被害妄想の結果自殺願望の話になったりを繰り返したりします。

まさかありもしない父の浮気を肯定するわけにもいかないので母の主張を否定するしかないのですが、自分の意見を否定される事自体も余計気に障るようで、為す術がありません。

でも結局は、まぁいろいろとしょうがないですね。
中にはもっと面倒な介護を一人で(私の場合は父と交代で)やられている方もいらっしゃいますし、私はここでこうして書くことでストレスの発散が出来ますし。
さて、ストレスも発散できたことだし、また頑張るとしますか。

・・・という一通りの話が済んだところで。
どんな状況でも、他人事のような、あるいは醒めた視点で事態を見ている自分が存在します。
介護に関わらず全ての日常生活で、喜怒哀楽どんな時でもこの視点の存在を感じるのですが、その視点に人格が加われば二重人格なのかも(^^;
私の場合は人格のない単なる視点ですが、皆さんはこういう視点の存在って感じませんか?
それともこういう私って精神的に異常?(仮にそうだったとしても何も不都合無いから別にいーけど)

このページのトップへ


冷凍

普段通り、カップ麺を買ってきました。
その他にも買ってきた物があって仕分けしていると、母が冷凍庫を開けて「さぁ、早くそれを入れなさい」と言いました。

なぜに命令形? まぁそれはさておき、「それ」というのはカップヌードル(カレー)です。
冷凍タイプの即席ラーメン(直接コンロで加熱するやつね)も世の中にはありますが、うちでは買ったことがありません。

つまり、我が家にとっては即席ラーメン=常温保存が数十年来の常識だったのです。
せん妄にかかっている人間にとっては、突如として記憶の変質があるようで、いつのまにか即席ラーメン=冷凍保存ということに置き換わったらしいです。

昨日まではカップヌードル(の常温保存)に何の反応も示さなかったのに、何で突然?
一旦変質した記憶は物理的証拠を見せても正しく元に戻らない事が多いので、今後は私の目の届かない間にカップラーメンが冷凍されていく可能性が高いです(笑)

このページのトップへ


ニュアンス

介護している母を病院に連れて行ったとき、ある医師(A医師としましょう)に付き添いの私だけ別の部屋に呼ばれました。

A医師「ご自宅での介護の様子はいかがですか?」
私「介護認定も通りましたし、今は私も(会社を辞めたので)基本的に家にいますから、父と交代でやってますよ」

A医師「認定が通ったのなら、介護サービスも受けやすくなりますね」
私「まだ余裕がありますので、具体的に(介護サービスを)受ける予定は今のところありません」

というように、大した問題もなく普通にやっている旨答えたのですが・・・
後日、別の担当医師からこう言われました。

担当医師「介護がかなり逼迫した状況で、夜も眠れないってA先生から聞いたんだけど、大変だね」
私「は? 大変は大変ですけど、普通にやってますよ」

担当医師「だって、もう死にたいって漏らしたんでしょ? そう聞いたけど?
私「そんな事、思ってもいませんし、ひとっことも言ってませんが。どちらかと言えば私は楽しんでやってますけど・・・」

担当医師「A医師は心理学の先生だから、ちょっとしたニュアンスの伝わり方のちがいだろうな、うん

そういう問題か? それで納得するのか? ニュアンスどころか、ぜんっぜん違うじゃん! 誰が夜も眠れないって? 誰が自殺を考えてるって?
私は「まだ余裕がある」って言ってんのに、別の人と間違えてるんじゃない? ん〜、別の人ぉ? って事は・・・

本当に「夜も眠れない」程「もう死にたい」ってA医師に漏らした患者なり介護人なりがいたかもしれないね。
知〜らないっと。

このページのトップへ


何が基準?

母がある物事を勘違いしていました。
仮にその勘違いの内容をAとしましょう。

私は事実を知っていましたので、それを正します。
私の主張する内容を仮にBとしましょう。

つまり母はAを主張し、私はBを主張しています。

一旦話を終わらせて数分後、試しにわざと私がAを主張してみました。
すると、母はBを主張し始めたではありませんか(笑)

また話を終わらせて数分後、面白いので今度は私がBを主張します。
すると予想通り母はAを主張しました(笑)

要するに話の内容が正しいかどうかが基準じゃなくって、何でもかんでも反対する事が基準になっているのね(^^;

このページのトップへ


インスタント食品

親とは年代が離れていた事もあって、元々食事の内容や好みも全く異なっていました。
そこへ要介護の状態になって、減塩食が中心となりました。

私は普通の人の2〜3倍は塩分を採るため、ますます親と同じ食事は出来ません。
もちろん親の食事を優先させる為、自分の食事に手間暇などかける気力もありません。

介護状態になってから数ヶ月経ちますが、もっぱらカップラーメンが私の主食となっています。
お湯さえあれば数分で食事の準備が出来てしまうのは、この上なく便利です。

朝はカップラーメンとみそ汁(もちろんこれもインスタント)、昼はカップ焼きそば、夜はビールのみ。
朝と昼とは時々内容を入れ替えたりしていますが、基本的にはこんなもんです。

・・・が、なぁ〜んも苦になんないでやんの(笑)

体には良くないかもしれませんが、今のところ全く変化は見られないし、ま、こんなもんでしょ。
ただ、普通の食事と比べて多少早くお腹が空くような気はしますけどね。

もしも私がグルメだったら、もう「うっきー!!」とか「ちゃぶ台返し〜!!」なんだろうけど。

このページのトップへ


HIDE・キャロットへようこそ

ファミレスを舞台にした某ゲームとは全く関係ありませんが、我が家へ来られることがあったとしたらという仮定の話です。

母「ようこそ、いらっしゃい。さ、お茶でもどうぞ」
ここで素直に飲んではいけません。
まず、そのコップは透明なガラスコップのはずなのに、汚れでくすんで向こう側が見えません。
いかに汚れ(食材の残りや油汚れ)がついたままになっていようとも、洗剤を使わず手でさっと水洗いしただけで「ちゃんと洗ったからきれいだ!」と言うのです。

母「じゃ、お茶菓子はいかが?」
ちょーーーっと、待ったぁ! 必ず消費期限を確認するようにしましょう。
1年以上保存可能な缶詰などで消費期限が1週間位過ぎようがとやかくは言いませんが、製造日から3日くらいが消費期限の生鮮食料品でも平気で1週間過ぎたものを出すのです。
えっ、製造年月日や消費期限が削ってあって判らないって? それはですね、期限が過ぎた物は私が文句を言うから削って判らなくするようになったんですよ。
逆に言うと、削ってあるって事は過ぎているって事ですから、どうぞ気になさらず出されたものは廃棄して下さい。
また、母によれば「有名店・専門店で購入したものは消費期限が無い」そうですから注意して下さいね。(っていうか、どっからそういう発想が出てくるのだろう?(笑))

母「じゃ、世間話でもしましょう」
それくらいなら差し支えありません。私とは世代差がありすぎて、家族といえども共通の話題なんて一つもありはしませんが(^^;
・・・ほほう、話してみたところ記憶障害などの異常は見あたらないように見受けられるって?
そうです。話はまともにできますし、普通は至って正常ですよ。
但し、頭の中で独特の世界観(勘違いの集まりみたいなもの)があって、それと現実との間にギャップがある場合、絶対に現実に合わせようとしませんから。
そして、医師の指示など重要な事になればなるほど世界観と現実とのギャップが広がっていくようで、具体的な証拠(診断書など)を見せながら説得しても、「そんなものは知らん!」「医者の言う事は全部嘘」「私は既に全快している」等と言って聞き入れようとはしません。
「馬の耳に念仏」って諺がありますが、現代風に言えば「マスクROMに書き換えデータ」ってところですかね。

さて、全くの余談になりますが、ギャグのネタとして・・・
「馬の耳に念仏」って入力しようとして、ふとした勘違いから「馬の耳に大仏」って入力してしまいました。
キー入力ミスではなく、あくまでも偶発的な勘違いではありますが。
そこで、ロボット検索型のサーチエンジンで「馬の耳に大仏」って探してみたところ、何件かリザルトが返ってきました。
私の場合は偶発的な発見(?)によるものですが、リザルトに帰ってきたサイトの皆さんは努力の結果考えついたようで、何か才能の差を感じちゃいますね。
私ももっとギャグやユーモアのセンスを磨かなくっちゃ。

このページのトップへ


大爆笑な老夫婦喧嘩

父「ここにあった酒(日本酒)知らんか?」
母「ああ、断水用に取って置いた瓶でしょ? 減ってたからちゃんと水を継ぎ足しといたわよ」(と言って別の場所に置いてある瓶を指す)
※我が家では、空き瓶に断水用の水を入れる事はしていません

父「あれは新品の酒で2本買って置いてあったでしょーが!」
母「でも、開栓してあったから中身は水でしょ?」※どこからそういう発想が出てくるのだろう?

父「開栓してあったらそれは飲みかけに決まってるだろ!!」
母「だって、中身は空だったから」※記憶の混乱により、母の言うことは一貫していません

父「空じゃない、ほぼ新品だったじゃないか!」
母「水しか入ってなかったじゃないの」※記憶の混乱により、母の言うことは一貫していません

父「あれは酒だよ!もしかして水で薄めたのか?」
母「開栓してあったから、減っていれば水を入れるわよ」※どこからそういう発想が出てくるのだろう?

隣の部屋で聞いていた私は大爆笑。
開栓したばかりのほぼ新品のお酒は、料理酒に格下げと相成りました(笑)
ちなみに私はビール党なので、被害に遭わずに済みそうです。

このページのトップへ


ダイナマイトナース2

新人(?)の看護婦さんが何やら機械を操作して、やがて「準備できました」と言って先輩(?)の看護婦さんを呼びに行った。
呼ばれた看護婦さんはその機械を見て一言。

あのね、いくらスイッチを入れてもコンセントを挿さないと機械ってもんは電源が入らないのよ

これが実話だったりするから恐ろしいもんです(笑)

このページのトップへ


ダイナマイトナース

ダイナマイトなナイスバディの看護婦さんの話ではありません。

今日も付き添いで病院へ行ったんですが、3回連続で採血を失敗して婦長さんに泣きつく看護婦さんを初めて見ました。
もちろん、ホントに泣いたわけではありませんが。(婦長さんは、当然ながら一回で成功しました)

う〜ん、まさにダイナマイトナースですね。(ルネあたりが似合いそうかな)
ところで、ダイナマイトナースって、わかります?

このページのトップへ


三つ子の魂百までも

失見当障害発症中は、普段の記憶や自我とは別のものではありますが、そこはやはり同一人物です。
普段からの生活文化がふとした拍子に出て来ちゃうんですねー。単にはたから見ているぶんには面白いです。

<食器編>

病院での配膳には箸がないので、これは患者側で用意しなけりゃいけません。
箸や食器を使う度に洗うわけにもいかず、当然割り箸を使います。
ところが大正生まれの母は使い捨て文化に慣れていなくて、「捨てるのはもったいないからとっておく!」と言って割り箸を捨てようとしません。
食材がついたままの箸は衛生的な観点から「汚い、不衛生!」って言っても、「もったいない」と言って私の話を聞こうともしません。
また、使い捨ての紙皿もちょっと目を離した隙に洗って置いてあるのには驚きました。
もちろん紙製ですから、ふにゃふにゃになってとても再利用出来る状態ではありませんでしたけど(笑)

<ティッシュペーパー編>

母は箱に入ったティッシュは使い方が解らないとか言って普段から使おうとしません。
だから自宅ではトイレットペーパーをティッシュ代わりに使っています。
でも、病院ではティッシュペーパーを自室に持ち込んだら「備品をくすねた」と思われてしまいますよね(笑)
そこでティッシュペーパーを、取り出し方などの説明をした上で渡しておいたのですが・・・
いつの間にか「取り出しにくい」とか言って箱から全部出してしまったんです。
次の1枚が取りやすいようにならないので、かえって取り出しにくいのですが、本人は「改悪」した事にまるで気づいていません(笑)
相変わらず「使いにくい」と文句を言っています。
しばらくすると、どこから持ってきたのかトイレットペーパーがベッドの側に置いてありました。
あれはどう見ても病院の備品じゃないだろうか? (^^;

<道徳観念編>

人に迷惑をかけちゃいけないって概念は失見当障害発症中もあるようですが、それはそれで困った事がありました。
急性心筋梗塞の手術後数週間はベッドの上で安静にしていなくちゃならなくて、排尿・排便も看護婦さんのお世話にならざるを得ません。
その必要を感じた時はナースコールのボタンで看護婦さんを呼び出す決まりになっていますが・・・
「こんな事で看護婦さんに迷惑は掛けられない」と言って点滴を引きちぎり、心電図用モニタの電極や採尿カテーテルを勝手に外してトイレに行くんですよねー。
もちろん、その都度かえって迷惑を掛けている事を何度も説明しましたが、「夜だったから迷惑をかける訳にはいかなかった」とあくまでも自分の道徳観念に固執していて、人の言うことを全く聞こうともしません。
人に迷惑を掛けないって道徳観念は良しとして、人の話を聞かないというのは何とかして欲しかったぞ(^^;

<総論>

パソコンに例えると、せん妄や失見当障害ってのはHDの中身(OSやAP、データ)の一部がふっとんじゃったようなもんですね。
BIOSだけはしっかり残っているようですが、そのBIOSを書き換えたくても、FDやCDを受け付けなけりゃどうしようもないようなもので・・・(^^;

このページのトップへ


あんた、誰?

ある日病室に入ると、母に「あんた、誰?」と言われました。
「おおっ、これが人物誤認というやつか」動じず冷静に分析する私も変といえば変ですが(^^;

どうやら記憶の混乱の中、息子の顔を忘れてしまったみたいです。
でも、父を他の誰かと間違えたことはありません。

母にとっては、息子よりも夫の顔の方がつきあいが長いですし、また、乳児→幼児→少年→青年→成人という成長過程で変化してきた私より、成人→中年→老人と変化が少ない分、父の方が有利ってもんです。

比較論としてはそう納得も出来るのですが、ある時「私に息子はいません」って言われてしまいました(笑)
親に存在を忘れられ、親に対して自己紹介をするという、極めて稀な経験をしちゃいました。

自己紹介をしている最中も、その自分を第三者的な目で分析する自分がいて、真剣にやればやるほど「とんだ茶番劇だよなぁ」なんて思ったりもしますが、もしもここで「私はあなたの父親です」って自己紹介したら信じたかな?
面白そうだからやってみようかとも思いましたが、真剣にそう信じられても後で困るので、さすがにそれはやりませんでしたけど(^^;

このページのトップへ


院内徘徊

入院中、病室で目を覚ますと記憶の混乱などから「何で自宅以外で寝ているんだろう?家に帰らなくちゃ」と思うみたいです。
しかしながら、心臓の状態がまだ安定していないので、帰宅どころかベッドから自力で起きあがる事すら厳しく禁止されています。

また、点滴が続いていますし、採尿のホースもくっついていますので、どうやってもベッドから離れることは出来ません。
それでも何かの拍子に「帰らなくちゃ」と思うらしく、ひっきりなしに起きようとします。

起床を制止されると、今度はトイレを理由に病室を出ようとします。
小用なら採尿管がありますので本人は何もする事がありませんし、大用でもナースコールを利用することになっています。

それでもある日、ちょっと目を離した隙に点滴も採尿ホースも引きちぎって院内徘徊をする事件が起きました。
発見されたのはいいのですが、「何でこんなホースが付いてるの? これじゃ家に帰れないじゃない」と、自分の置かれた状況を全く認識していません。

病院側と相談し、退院までの数週間はほぼ24時間体制で付き添うことになりました。
その時の様子を、当時のサイト更新記事から抜粋します。

そんな状況の中、お気楽極楽脳天気がモットーのHIDEはナースウォッチングを楽しみにしてます。
また、100枚以上のDVD、50冊以上のコミック、クーラーボックス2つ(中にビールや弁当を入れるため)、ノートパソコン、電気スタンド、扇風機を持ち込み、非常に厳しい徹夜の付き添い生活にも最大限の快適さを求めて堪え忍んで・・・もしかすると楽しんで(?)います。(一部の電気機器は使用場所を限定されますけど)

と・こ・ろ・で、メイドさんもいいけど看護婦さんも結構いいですね(爆)
白衣の天使って言うけれど、その白衣の生地が薄くて・・・その・・・ごにょごにょ(笑)

ははははは、おバカな事書いてますねぇ。

このページのトップへ


発端

詳細は端折りますが平成13年5月6日夕方、急性心筋梗塞で母が救急車で病院に運び込まれました。
それからの数日間は徹夜で付き添いをしていましたが、担当医から徹夜の付き添いが必要な状態は脱した事を知らされました。

ひとまず安堵して父と帰宅した翌日、担当医から電話がありました。
「記憶の混乱が発生してワーッとしゃべり出して止まりません。ご家族の方がみえたら落ち着くと思われますので、至急お越し下さい」

これが悲劇・・・いや、あえて喜劇と言いますが、その始まりでした。
父と共に病室に入ると、母が担当医に向かって本当にしゃべり続けていたのです。(内容は単なる昔の思い出話でした)

我々の到着によって、ようやく解放される安堵感が担当医の表情に一瞬出たような気がしましたけど、それも当然ですね(笑)

「うわー、すげー!! この担当医、よく母の話に何時間も付き合ってくれていたな。さすがに医者だな」
妙な感心をする自分自身に、それこそ妙な感心をしたりして(^^;

このページのトップへ


はじめに

母の急性心筋梗塞、それに続く失見当障害などのせん妄、そして私は介護休職の状態に。
2001年5月に発症以来、我が家ではいろんな事が起こりました。

急性心筋梗塞に関しては正直言って参りましたが、お陰様で経過も順調で、緊急的事態は脱したようです。
しかし、失見当障害やせん妄はすぐさま生命に関わる危険はないのですが、心筋梗塞よりもやっかいな介護が必要となります。

私は平成13年現在36歳の男ですが、未婚でしかも兄弟姉妹がいません。
母の面倒は私と父の2人だけでみなければならないのです。

ともすればつらい介護生活を少しでも明るく乗り切ろうと、介護をギャグの観点から捉えてみることにしました。
高齢化社会の現代日本で、私のように家族の介護をする人は今後急増すると思われます。

介護をする側・される側の双方にとって、本コーナーのギャグ性によって少しでも精神的な負担が軽減される事を願います。
ま、悲観したって楽観したってどうせ(介護を)やらなきゃならないんなら、せめて楽しみましょうよって事です。

当サイトはパソコンサポート系のサイトではありますが、介護だってパソコンじゃないけどサポートと言えますよね?
って事で、強引にこじつけてみました。

尚、繰り返しになりますが、本コーナーの内容はあくまでも我が家で発生した事例をギャグの観点から捉えたものです。
他の方の事例を笑い物にしたり非難したりするつもりは毛頭ありませんので、どうか誤解の無きように。

このページのトップへ