第五章 発覚

 渡瀬の携帯電話が鳴った。
 当の渡瀬は酒の力を借りてぐっすり眠っているが、絵梨は普段と寝心地が違うせいか眠りが浅く、寝ぼけながらも電話の音に反応出来た。
 電話に出るべきか一瞬迷ったが、寝ている兄を起こすまいと電話に出ることにした。
「はい・・・もしもし・・・」
 眠そうな女性の声が聞こえたので掛け間違いかと思って、このみは携帯電話の表示を確認した。間違ってはいない。
「あの・・・渡瀬さんでしょうか?」
「はいそうですけど」
 絵梨にとっても親の再婚以来、姓はずっと渡瀬である。
 予想外の不明な相手に、このみは名乗ることさえ忘れている事に気がつかなかった。
「義雄さんはいらっしゃいますか?」
「義雄さん? ・・・隣で寝てます」間が空いたのは、義雄さん=兄ということにすぐ結びつかなかったからだが、絵梨は端的に事実のみを述べた。
 一方のこのみは、渡瀬が女と寝ていると受け取り、ショックのあまりどう言ったらいいのか言葉を失った。
 相手が無言になったので、絵梨は急用なら起こす旨伝えたが、このみは結構です、と何とかその一言を絞り出し、電話を切った。
 絵梨は電話が切れた後、相手の名前を聞くのを忘れていたことに気づいたが、半分寝ぼけているせいもあり、再び眠りに就いた。
 実はこのみと絵梨は同じ高校の先輩後輩で、部活も同じだったことから友達のように付き合ってきたし、今でも時々電話やメールでの交流がある。
 絵梨がK短大を志望した理由には、兄が同じ系列の大学だという他に、このみが通っているからというのもあった。
普段なら、お互いに声で相手を充分に判断出来る間柄なのだが、寝ぼけている絵梨と気が動転しているこのみでは、そうもいかなかった。

藤崎は電話から戻ってくるこのみの様子がおかしいことに気付き、
「どうしたの? 何か急用でも出来た?」とたずねたが、このみは
「先輩、今日はとことん付き合って下さい」と宣言してテーブルのカクテルを一気に飲み干し、もう一杯注文した。
「僕は構わないけど、どうしちゃったのさ、急に」
「失恋ちゃった」
「はあ?」語尾を持ち上げるように、藤崎は場違いな声を出してしまった。
「しかも告白する前にね」
「何があったの?」
「さっき、掛かってきた電話のついでに渡瀬先輩のところへ掛けたら・・・」
「掛けたら?」同じ言葉で続きを促した。
「女の人が出てきて、もう一緒に寝てるって」
「・・・・・そうか」
 少しの沈黙の後、まるで驚かない藤崎を見てこのみは
「あーっ、もしかして先輩、知ってましたね!」と詰め寄った。
 このみの勢いを制するような手ぶりで藤崎は
「僕もついさっき知っただけだよ」とあわてて答えた。
「どうして黙ってたんですか? 私より先に知っていたのに!」
「あきらめろと、僕が言うのかい? 渡瀬に気持ちを伝えて、渡瀬にフラれるならともかく、僕がそう言って、君は簡単にあきらめるのか?」
「あきらめろって言葉じゃなくって、事実を教えてほしかったの!」
「君には君の気持ちもあって、主張したい事はあると思うよ。でもそれは僕だって同じだ。日常的な出来事ならともかく、こういうことは渡瀬本人の承諾もないのに、他の人、そう、たとえ君であっても軽々しく話す訳にはいかないだろ?」
 一気にしゃべり終えると、藤崎はのどの渇きを癒すようにビールを流し込んだ。
 藤崎の話は理屈としては正しかったが、正しいからといって、このみの気持ちを和らげることは出来なかった。
「あの女の人、誰?」
「いや、名前も顔も知らない。これは本当だ」
「先輩が知らないわけないでしょう?」
 もちろん藤崎は本当に知らなかったのだが、もう少し説明が必要と感じた。
「実はN駅で君が電話をくれる少し前にあいつの所へ行ったんだ。その時にチラッと顔を見たけど誰かはわからなかったんだ。少なくとも僕の知らない人だよ」
「もし、先輩の知らない人なら、たぶん、私も知らない人ね」
 実はこのみの方こそ面識があるのだが、この時点では知りようもなかった。
「今だから言うけど、渡瀬の話じゃ急に引っ越してきたって事だったよ。僕だって、あいつがいきなり同棲するなんて、思いもしなかったさ」
「え? 同棲!?」
「渡瀬からそう聞かなかったのか?」
 実は藤崎も同棲とは聞いていないのだが、今や彼はすっかりそう思い込んでいた。
「いえ、ただ、一緒に寝てるってだけ・・・」
「そうか。それで君はもうドロップアウトかな?」
「まだチャンスがあればそれに掛けてみるわよ。でも、今すぐはそんな気になれない」
「それでやけ酒か? やめておいた方がいいぜ」
「違うわ。これは立ち直るための栄養剤よ!」
 と、このみはぐいっと残りのカクテルを飲み干した。
 その後、渡瀬と今一緒にいる女性は誰だろうという推理から始まって同人誌の話に移り、話に脈絡も一貫性もなくなりかけた頃、このみが
「ふぁぁあ、眠いからちょっと寝るね」
 と、机に突っ伏して寝てしまった。
「おい、いきなりこんな所で寝るなよ。起きろ! 起きてくれ!」
 しばらくはいろいろと手を尽くして起こそうとしたが、一向に起きる気配はなかった。
 ついに藤崎は起こすのをあきらめ、このみをおぶって店を出る事にした。
 幸い、この時のこのみは比較的軽装で、デニムのワンピースの他には同じくデニムのジャンパーとポーチがあるだけで、おぶっても充分帯同する事が出来た。
 外に出ると、いつしか雨が降っていた。
おぶったままでは傘をさすことも出来ず、また、藤崎はこのみの家を知らなかったので、店を出たものの正直なところどうしようか迷っていた。
「ったく、世話の焼ける娘だな」
 そう言いながらも藤崎は怒ってはいなかった。
 一つにはこのみが自分のペースを超えて飲んでいたことを見抜いて止めることが出来なかった責任もあるが、それ以上にこのくらいの迷惑は意に介さないほどに友情なり仲間意識なりを持っていたし、そして、藤崎は女性にモテるほうだったが、自分に一向に興味を示さないこのみにむしろ新鮮さを覚えていて、恋愛感情のわずか一歩手前という自覚があったからだった。
 藤崎はしかたなく間近のラブホに入って行った。
 最初は女友達のところへ彼女を預ける事も考えたが、心当たりのところを当たってみたが全て都合が付かなかったのだ。
 ビジネスホテルだと宿泊が前提となってしまうし、眠っている女の子をおぶっていては、チェックインの時にいささか説明を要するだろう。
 ラブホなら対面でチェックインすることもないし、宿泊を前提としなくても良いことから、下心の有無というよりは、それ以外に選択肢が事実上残されていなかったのである。

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