第二章 誤解拡大

「はい・・・」
「あれ?」
「・・・」
 お互い、約一秒の沈黙。
「あの、ご用件は何でしょうか?」
「また後日出直しますので、失礼します」
 そう言って一礼すると、藤崎はさっさときびすを返した。
 女性の返事が聞こえたので「おや?」と思ったが、さも当然そうにバスタオル姿でいる絵梨を見て、藤崎はすっかり誤解してしまった。
藤崎の知る限りでは渡瀬には恋人はいなかったはずだが、その認識を改めざるを得なかった。
 藤崎は今は特定の彼女はいないが、元々モテるほうなので、素直に友人に彼女が出来た事を喜べた。
 自宅へ帰る道すがら空いてしまった今夜をどう過ごすか考えていたが、ちょどそこへ、皆川このみから電話が掛かってきた。
 このみは渡瀬の同人仲間として紹介され、今ではお互いに気心の知れた男友達・女友達という認識を持つまでになっていた。
 つまり、渡瀬やこのみの同人活動を、藤崎は時々手伝わされていたのである。
「はい、藤崎です」
「皆川です。今、少しよろしいでしょうか?」
 携帯電話へ掛ける時、いつもこのみはこう切り出す。
「ああいいよ。今日は何の手伝い?」
「あははは、そう来ますか」
「違うの?」
「それじゃ私が藤崎先輩を普段から手伝い人としてこき使ってるみたいじゃないですか」
「当たらずとも遠からずってところかな」
「そうですね」
このみは事実を素直に認めた。
「それで用件は何?」
「えっと、今日も渡瀬先輩のところへ行かれますか?」
「あ、ああ」
あの一件を思い出し、つい曖昧に返事をしてしまった。
「じゃ、その前にちょっと頼み事があるんですけど」
「頼み事?」
「電話じゃちょっと・・・。実は今N駅まで出てきているんです。駅前の喫茶店で今から待ち合わせる事は出来ますか?」
 N駅は渡瀬と藤崎の家からそれぞれに近く、歩いても五、六分で着く距離だった。
「OK。じゃ、今から行くから待っててくれる?」
「わざわざすみません」

 駅前の喫茶店に入ると、ショートカットにデニムのワンピースという出で立ちのこのみは手を振って合図した。
 ウェイトレスへコーヒーを注文し、一息ついて藤崎は
「それで、相談って何?」と切り出した。
「あの・・・」
 相談事があると言っておきながら、このみは何か言いにくそうな様子だった。
「同人関係の事じゃないよな。それだったら渡瀬に相談するだろうしね」
「はい」
「という事は、渡瀬自身に関する相談事かな?」
「・・・」
 間を置いた事自体、肯定を意味するものだった。
「渡瀬先輩に付き合っている人がいないのは知っています。ただ、私の事をどう思っているのか知りたくて」
 藤崎はバスタオルの女の子の事を思い浮かべたが、とっさには
「それで?」と話を促す事しか出来なかった。
「今日、土曜ですから渡瀬先輩のところへ行かれますよね? その時に出来たらそれとなく聞いてほしいんです」
「自分では聞かないの?」
「やっぱりそうするべきだと思いますか?」
 質問に質問で返すなよとは思ったが、それを簡単に許せる間柄でもある。
「聞くのは別に構わないけど、肝心な事は自分で確かめて自分で言わなきゃ」
「・・・・・・・うん、わかったわ。今から行ってみる」
 少し迷ってからこのみは決断したが、これには藤崎の方がおどろいた。
「え゛っ」
「どうしたんですか?」
「い、いやぁ」
「何か不都合でも? 先輩だって、今夜もどうせ行くつもりだったんですよね? 私の用事はすぐ済みますから」
「わ、わかった。俺もどのみちあいつにそろそろ電話しようと思っていたところなんだ。ついでに都合も聞いといてあげるよ」
 そう言うと、藤崎は喫茶店の公衆電話へと向かった。
 このみはなぜ藤崎が自分の携帯電話を使わないのか疑問に思ったが、ちょうどそこへコーヒーが運ばれて来て、そのままうやむやになってしまった。

 その頃、渡瀬のアパートでは今度は渡瀬がシャワーを浴びていた。
 ピロリロリロ・・・ピロリロリロ・・・
 絵梨はつい、というよりは何も考えず兄の携帯電話に出て返事をしてしまった。
「はい、渡瀬です」
 すぐにしまったとは思ったが、まさか留守録のマネをするわけにもいかない。
 一方、藤崎の方は渡瀬本人に出てほしくて携帯電話に掛けたのだが、ここでもあの女の子が出てくるとは思わなかった。
「あ、私、藤崎と申します。先ほど玄関口までお伺いした者で、渡瀬君とは同じK大学に通っております。すみませんが、渡瀬君に代わってもらえませんか?」
「ごめんなさい、今シャワーを浴びていて出られないんです。折り返し電話するように伝えましょうか?」
 藤崎は迷った。シャワーという事は、さほど時間をおかずに電話が掛かってくるだろう。
 そうなるとこのみの目の前で電話に出る事になってしまい、話の流れによっては彼の家に女の子がいる事がばれてしまうかもしれない。
「いえ、またこちらから掛け直します」
「あっ、ちょうど今出てきたところだから代わりますね」
 タイミングとしては良かった。そう、あくまでもタイミングだけは。
絵梨は電話を手で押さえて「おにーちゃーん、でんわー。藤崎さんという人から」と言って渡瀬に渡した。
 結果として、肝心の「おにーちゃーん」の部分は藤崎に聞こえなかった。
「おお、藤崎か」
「ああ。今、ちょっといいか?」
「すまん、今日のところはナシにしてくれないか」
 藤崎は、渡瀬がいつものように泊まりがけでの話と勘違いした事を察し、
「いやいや、今日はそっちへ行くつもりはないんだ」と慌てて付け加えた。
「じゃ何?」
「そうだな、三十分くらい駅前に出てこられないか?」
「今からか?」
「ああ」
 渡瀬としては、家の中とは言え裸同然の妹を独りにしておくのも気が引けたし、それよりも出かけている間に本棚の奥とかにある「お約束」のものを発見されるのも避けたかった。
「ごめん、今日は本当に都合が悪いんだ。話はもう聞いたかもしれないけど、あいつ、いきなり俺の所へ引っ越してきたんだ。明日は日曜だけどいろいろと買い物に出なきゃならんだろうし、急ぎでないなら月曜に大学でどうだ?」
 そう聞かれると、藤崎としても肝心のこのみの都合を確認していないので何とも言えない。
 また、渡瀬の言い方もまずかった。
 電話を渡された時、絵梨は自己紹介くらいは済ませていたと思ったのである。
 その結果、藤崎は先ほどの女の子がたまたま泊まりに来たのではなく、同棲を始めたものだと勘違いした。
「ああ、わかった。じゃ、来週大学でな」
 このみにどう説明しようか考えながら席へ戻っていくと、このみから
「どうでした?」と先制して聞いて来た。
「ああ、ともかくあいつは今日都合が悪いってさ。ほんの三十分でも出てこられないか聞いたんだけど、それも難しいって。だから僕も今日はあいつのところには行かないさ」
 肩をすくめながら結果を報告する藤崎に、このみは
「そうですか」と答えた。
「よし、今日はあいつにフラれた者同士、いっちょ飲みにでも行かない?」
「言っておきますが、私はまだフラれた訳じゃありませんからね」
「まだ?」
「あ・・・」このみはしまったという顔をした。
「冗談さ。で、どう?」
「下心がないんなら、お付き合いしたげます」
「そいつは難しいな。君は思わず口説きたくなるくらいに素敵だよ」
 ふざけて言ってはいるが、実は藤崎も本気の要素が幾分混じっていたのは事実だった。
「あの・・・さっきも言ったように私、渡瀬先輩が好きなんですけど」
「恋する女性が美しいのは本当さ」
「きっざー!! まるで映画か何かのセリフみたい」
「ともかく、今日の午前零時までの下心確率は五%未満ってところさ」
「明日の午前六時までは?」
「三十%、以後六時間おきに五十%、七十%、百%となるのさ」
「じゃ、今日のうちに帰れば安心ね」
「九十五%以上の確率でね」

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