春とはいえ、その日は曇天の肌寒い一日で夕暮れを迎えた。
時折吹く風は、カジュアルシャツにジーンズという出で立ちの男から体温を容赦なく奪っていった。
都心から郊外の私鉄駅から五、六分歩く典型的な住宅街で、その男は家路を急いでいた。
来週からいよいよ大学三年生か。
その男、渡瀬義雄は心の中でつぶやきながら、帰ってきたアパートの階段を登った。
よくある外廊下式の二階建てのアパートである。
隣の部屋には同じ大学の二年上の学生が下宿していたが、地元で就職が決まって早々と引き払ってしまい、今では空き部屋となっている。
他の部屋はの住人とは出会えば挨拶を交わす程度で、面識は無いに等しい。
渡瀬は突き当たりの自分の部屋まで来て、鍵を開けた。
・・・いや、開けようとしたが、その手が途中で止まった。
自分の部屋の廊下に面している風呂場から明かりが漏れ、シャワーの音が聞こえたのだ。
用心しながら静かに鍵を開けてみると、チェーンは掛かっていなかった。
空き巣ねらいか?
中にいる人物に気づかれないようそっとドアを細めに開け、中の様子を窺ってみる。
外はもう薄暗くなる時間で、中は暗くてよく見えなかったが、聞き耳を立てる限りは風呂場のシャワー以外には動きらしい動きは感じられなかった。
渡瀬は細身の体らしくするりと体を玄関へ忍び込ませ、後ろ手にそっとドアを閉めた。
自分の退路の為、そして空き巣ねらい犯(?)を追いつめすぎない為にも施錠はしないでおく。
玄関の明かりをつけずにそのまますぐ右の脱衣所のドアを開けると、女性の着替えが置いてあった。
女性? 何で俺の部屋で? 一体誰が? 鍵はどうしたんだろう?
仮に空き巣ねらいなら、シャワーを浴びるはずは無い。
過去にたった一度だけ出来た彼女は・・・シャワーが必要となるような関係になる前に別れてしまった。
本当に一体誰だ?
相手が入浴中の女性なら、いきなりとっくみあいにはならないだろうし、仮にそうなってもすぐさま玄関から逃げらるという安心感もあったかもしれない。
そう思って渡瀬は一気に風呂場のドアを開けた。
「キャッ」
「誰だ!?」
「きゃーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
誰何(すいか)の返事として耳をつんざくような悲鳴に、渡瀬は驚いて尻餅をついてしまった。
「あ・・・わ・・・」
何とも情けない、意味不明の単語が口から少し出てくるだけの渡瀬に、いつしか真顔になった風呂場の女性が声を掛けた。
「あーびっくりしたー。今帰ったの? お兄ちゃんってばいきなり開けるんだもん」
「あ? 絵梨か? お前、本当に絵梨なんだな?」
最初の「あ?」はうわずってかなり間抜けな声になってしまった。
「なによー、私以外に誰がいるって言うの? あっ、そうか。いてもおかしくはないか。もう大学の三年生だもんねー」
声を聞けば確かに妹の絵梨だという事はわかる。
「いや、どうもそういう人はいないんだけど・・・何でお前がここにいるの?」
「あはっ、びっくりさせてやろうと思って。それより、いつまで私の裸見てるつもり?スケベー。閉めるね」
最後の方は恥じらいと言うよりも抗議の色が濃かった。
久しぶりの妹との再会は、いきなり全裸との再会になった。